大学落ちた/22-03-18
こんにちは!!
大学に落ちました!!
唐突にそんなでかでかと言うもんじゃないって…?
事実なので…
試験本番が終わり、合否発表も完全に終わり、 なんとか気丈にふるまっていたつもりだった。
実際のところは闇に落ちる一歩手前の淵にぎりぎりとどまっているような状態だ。
いろんな後悔や、自分の力不足、かなしさとか たくさんある。
しかしいまはとにかく勉強から離れて、日常を過ごしたほうがいいと判断したたのでポケットモンスターレジェンズ・アルセウス をひたすらプレイして、平穏を保っていた。
あと、趣味やら散歩やら、平穏を取り戻して精神の安定を図っていたりした。
でもやはりなんにも手につかない日もたくさんあって、床と一体化していることも多かった。
いやしかし、アルセウス面白かった。アルセウス面白すぎたなァ…
おかげさまで「また頑張りたいわね」と自然と思えるようになってきたため、手始めにずっと前から書きたかったこの記事…後悔やら気づいたこと、振り返りとこれからのことを書いてみようと思う。
まずは、お礼をしたいな。 2年間に及ぶ受験勉強において、応援してくださった方々、 教科書を譲ってくださった方、そしてなにより私のやりたいこと、挑戦したいことを尊重してニュートラルに接してくださっていた皆様、本当にありがとうございました。 読んでくれてたらうれしいです
どういう2年間だったのか?
- さかのぼること2016年某日。
ToMapon55・母が失踪して、金銭面やら身寄りがいないやらで、合格していた高校へはいけないという結論に至った。至られた。
そして桜が咲くころに、私は中卒として社会に放りだされたのだったな。
2016年のToMapon55は「20までに高卒認定合格して進学してやる こうなったら好き勝手生きてやる」とか夢想していたと思う。
この時は、「でもどうせ大学なんて/理系なんて自分には向いてない、絶対無理やな キーーーーくやちい」とか勝手に確信していたため、適当に医療事務だの商業系の専門短大に行ってやろうと思っていた。
- 時は飛んで2020。1年間勉強して高卒認定試験に合格した。
勉強しているうちに、「勉強が楽しいこと」、「数学、物理のおもしろさ」に気づいた。
理系とか文系とか、中卒なので知らないよ!と言っていたけど、模試やらの点数を見ると自分は理系寄りなのだと初めて気が付いた。 国語…現代文は昔から9割以下を取ったことがなかったため、自分は文系であるなどと勝手に判断していたように思える。
そんなことはどうでもいい。
この2020年はただただ新しい知識を詰め込むことができて、楽しい楽しいと言っていた年だった。
数2B、数3、そして電磁気学など、卒倒しそうなほど壮大で膨大な知識に立ち向かって頭に入れていって現実と現象を比較することが楽しくて仕方がなかった。 そして私はエンジニアになりたいと、昔からひそかに思っていた。 その思いは、限られた友人にぽつんと漏らしたきり、誰にも言ったことがない。
私があこがれた技術者たちは、こいつらを理解して身に着けて道具にしているんだと思ったらちゃんと習得してやりたいと思い、大学を目指すことを決意した。 2022年の受験を目指して。
- そんなに受験は甘くなかった2021
2021に入り、共通テストをはじめとした試験対策の勉強をした。
初めて河合塾の模試を受けた。 結果は悲惨だった。 よく耳にするE判定なるものをもらい、逆に興奮した。
そもそも、試験の対策の仕方なんかを理解しておらず、時間配分だとかすべてを解こうとするのは無理だとか、そんなことに気づいた。
いちど、いままで自分で取り込んできた基礎たちを一通り復習して、青チャートの問題を解き進めつつ夏になった。
仕事でトラブルがあり、ぶっ倒れ鬱と診断されてしまったため、仕事を辞めた。
もともと年末には辞めてやろうと思っていたので、好都合といえば好都合だったのかもしれない。
しかし、うつ状態というのはあまりにもつらいものだった。
ここまでの5年間、ずっと働いてきたのだ。 プツンと切れた糸から受ける反動は大きく、どうしても涙が止まらず 自分の生を憂うことしかできない日も多かったかもしれない。
感染症が流行しているさなか、会社から帰ってくるときよく寄って勉強した、お気に入りのカフェに昼間から行き勉強したりなどもしたが それでも勉強時間の減少は抑えられなかった。
9月半ば、ようやく落ち着きを取り戻し(?)(調子がよくハイになっていただけかも)また勉強に戻る。TOEICが後ろに控えていたので、移動中も何するにも勉強勉強勉強だったように思う。
そこからはもう、日々が液体のように流れていってしまった。 たくさん勉強したし、チューターなんて居ないけど、自分なりにがむしゃらに試験にむけて勉強をした。
- 2022年1月。 気づいたら試験会場の大学に居て、世界史の問題冊子を受け取っていた。
数1Aの試験がはじまったとき、流れていく液体のような日々の時間は止まった。
世間を騒がせたあの問題たちについてはなにも言うことはないし、例年通りであれば最低でも7割とれていたとかぐちぐちブー垂れて泣きながら帰ったことも覚えているが、なにも言うことはない。
国語だって難化とか言われていたけど、自分はいつも通りできていたし、数学もできる人はいつも通りできているのだ、と思った。 つまり、自分の力不足だっただけなのだ。
そして私は社会人受験一本でいくことを決意した。
前期後期中期の倍率がおかしなことになるのは目に見えていたし、わたしのこの点数はどうあがいても真ん中に行くことはできないのは明確だったからだ。
社会人受験では、物理の知識は問われず、数1A/2B/3の試験、そして面接試験、TOEICの結果で判定される。
数学の筆記試験は上々だった。
しかし配点や、過去問、採点基準がなにもわからない形式だったため、何とも言えない。だが整合性は取れている解答だったと後々確認し思っているが、なんか間違えていたかもしれない。採点者的に気に食わなかったのかもしれない。神のみぞ知る結果である。
問題は、面接試験だ。 本当にだめだった。
半年間のひきこもり生活のおかげか、本物のプレッシャーに耐えられなかった。 今言うことはすべて"言い訳"になってしまうのだろうが、それでももうすこし人間との関わりを保った状態で挑むべきだったかと思う。
なにより、自己主張が苦手なのだった。 自己主張が苦手だったのだ。
エンジニアになりたい、だの あの技術がすごくてかっこよくて、面白くて、だの。 私の住む田舎をよくしたいだとか、インフラを支えたいだとか
純粋なそんな思いを伝えればいいものを、あーだこーだニチャニチャ言おうとして結果何も言えなくなったのだ。
修飾しないと気が済まなかったし、修飾すらもできず、沈黙を貫いてしまった質問まであった。
もう後悔してもしきれないが、これが現実だ。
敗因
- 試験に対する理解がなかった
→ 私に必要だったのは、勉強法ではなく試験の必勝法だった。
試験は戦略ゲーらしい。ただ勉強たのちぃ!とするだけじゃだめだったみたいだ。面接もそうだし、TOEICもそうだった。効率的なアウトプットができない人間は負ける。
- メンタル管理が下手すぎた
→ 主治医からも何度も警告されていたのに(今の状態じゃうまくいかないなどと)それらを無視して、勉強に全力を注いでしまった。 焦りからくるものが大きかったのかもしれない。 しかし、やりすぎてコケたら、復帰までにまた時間を使うことを知れたので、これからは焦らずいいペース配分を研究してみたいと思う
これからどうすべきか
スケジュールの管理をする際に、休息も勉強と同様に大事なものとして組み込む。
メンタルの治療にまず専念する。
専門学校で学ぶべきことを余すことなく学び、やりたいことへの解像度を上げていく。
そして学校で行う試験とはどういうものなのかというのを実体験をもって研究していく。
これからのこと
実は、情報システムを学ぶ専門学校に合格していた。 そちらに進学することとなったので、まずは2年間しっかり学びたい。
そして、志望校へ3年次編入を目指したい…と迷っている。迷っている。 う~ん。難しい。 とにかく、どうなってもいいようにこれからも自学自習、がんばります。
以上
いじょうです
中卒ってだけで「進学なんてすごい!」とか言われるのがなんかつらかったり、自分の想いに懐疑的だったりで、こうして私のことを書くのが難しかった。
だれが読んでいるとかもわからず、ただただ壁打ちで書いた。殴り書いた。 でもこうやって自分を出すトレーニングをしていこうと思っている。
以上です。今日は後期出願者の合否発表日でしたね。
頑張りぬいたひとびと、尊敬の意しかありません。
頑張りぬいた人も、抜けなかった人も、日々を普通に過ごしてきたひとたちも、これからの生きる道に平穏と幸せが訪れるように祈っている。
つらいより楽しく生きたほうがいいもんね。いっぱい寝ます!おやすみ…